2011年4月23日土曜日

『木工家のつくる木のスツール展』始まりました

今日からガレリア表参道で、スツールを集めた展覧会が始まりました。
震災以来、展覧会を中止していましたので、久しぶりの展示です。
小さな椅子というアイテムですが、それぞれに家具づくりの作家の美意識や考え方、遊びが見えて楽しい展示です。木という、人の命より長く生きた生命体に囲まれていると、何かほっとするような、心が満たされるものがあります。
今日はこれからギャラリートークがあり、明日午後にはスツールを作るワークショップもあります。どうぞご参加ください。

2011年4月13日水曜日

町の記憶

町歩きで目にする古い看板や屋号…見るともなく私たちの視界に入り、記憶の中に沈んでいる。私たちはみんな現在を生きているが、過去の記憶に支えられてもいる。今、被災した人たちはその大事な町の記憶、家族の記憶を失い、新しい地平も見えずに立ち尽くしているのではないだろうか。伊勢の遷宮ではないが、新しい器には新しい魂が入るという思想がこの国にはある。新しく蘇る町、地域がそういう力を持ってほしいと願う。
しかし、福島では人間の手で再生することのできない破壊が進行している。

昨日、鵠沼でギャラリーをやっている知り合いから電話があった。陶芸の里・益子も大変な被害で、窯が壊れたり、アトリエが壊れたりしたという。陶芸家からのSOSを伝えてくれた。報道されない多くの痛手を受けた人がたくさんいる。相談して、5月に鵠沼で、6月過ぎに長野、金沢で支援の展覧会をしたいと思う。
これから東北の染織や、木工、陶芸の作り手の様子も調べてみたいと思っている。

2011年4月11日月曜日

一ヶ月の時間が過ぎて

今年から、岩手県盛岡市の大学に赴任した友人がいます。大震災の後の交通もまだ回
復しない中を、3月末に引っ越していきました。
彼女から4月5日に初メールが届きました。
「長野では、ネット接続をwimaxでやっていたのですが、こちらへ来たら、家も職場
も「圏外」で愕然。
携帯に転送をかけているのでメールは読めてはいるのですが、なかなか思うように返
信できない日々でした。
きょうはやっと車が納車されたので、wimaxの電波を求めてマクドナルドへやってき
ました。」
4月7日の大きな余震があった後のメールでは、
「…なんだか盛岡の人たちには元気をもらい続けています。
停電で信号が止まってるのに、ごみ収集も郵便配達も平常通りで脱帽でした。
きょうは大きなイオンショッピングモールに買い出しに出て、車いっぱい日用品を買
いそろえたのですが、モールは活況を呈していて、被災地支援の取り組みがあちこち
にあり、なにくそ負けるもんか!という勢いさえ感じました。」
というような盛岡の様子を伝えてくれました。現地の皆さんは本当に寒い春をひたむ
きに過ごし、日々闘っているのだと思います。
彼女は「物のないのは我慢できるが、情報がないのが怖い」と書き込んでいます。
昨日は各地で知事選や県議選がありました。その結果は・・。強いもの、力がありそ
うなものに頼りたくなる気持ちはこんな時だからこそ、増幅されます。
寺島実郎氏(日本総研理事長)が対談で「笑顔のファシズムに気をつけよう。関東大
震災は大正デモクラシィに止めを刺した。方向感を見失った心理がしっかり束ねてく
れる力の願望になる。」と指摘しています。現在の災害ユートピアといわれるよう
な、みんなが何とかしたい、何が出来るかという気持ちの次にくる段階を今から考え
てきたいと思います。
大正12年に起きた関東大震災は10万人を越える人々の命を奪い、現在華やかなブ
ランド店が並ぶ原宿の表参道は、死者で埋まっていたといいます。
その頃、町では「おれは河原の枯れすすき、同じお前も枯れすすき」といった退廃的な歌が
はやり、復興して立ち上がった東京では、昭和8年ごろから「東京音頭」が大流行し
ます。人々は盆踊りに繰り出し「花の東京の真ん中で・・」と踊り狂います。その熱
狂は日中戦争へと繋がって行ったような気がします。
長く生きてきて、若い時には見えなかった時代の流れが少し見えます。大きな地殻変
動が起きたこの国では、政治も言論も文化芸術も今までのものがすべてとは言いませ
んが、嘘っぽく、リアリティを失っています。
これから変革していく時代の中で、再設計されなければならない社会の方向と守られ
るべき小さな人間の営みの継承を見届けたいと思います。
私の周りでも、30〜40歳代の女性たちが中心に「エネルギー問題研究会」を作っ
て勉強会を始めました。4月6日に一回目の勉強会を開き、これからも月2,3回の
ペースで続けていくそうです。14日(木)長野市西の門町のナノグラフィカで、原
発事故について考えるお母さんの会が開かれます。興味のある人は参加してくださ
い。
今日は震災から一ヶ月経って、まだ出口の見えない中で考えていることを、書いてお
きたいと思いました。     石川利江

2011年4月6日水曜日

善光寺お朝事盛況

この三週間ほど早起きをして、善光寺にお詣りをして、回りの小路を散歩しています。善光寺のお朝事のことはご存知でしょうが、毎朝日の出に合わせて、大勧進、大本願のそれぞれの住職により本堂でのお勤めがあります。東北の大震災の後、長く手を合わせ祈る人が増えているような気がします。今朝は特に、参拝客が多く驚きました。本堂の内陣に百五十人ぐらいの人が座り、僧侶の「南無阿弥陀仏」の声に唱和していました。本堂に低い念仏が響き、かつての民衆信仰の熱さが蘇ってきたような、不思議な感覚にとらわれました。
自分の無力を感じ、謙虚に祈るしかないことがあるのだ、ということを今回の災害が教えてくれているような気がします。

2011年4月5日火曜日

遅ればせのブログ開始

土佐日記ではありませんが、「ひともすなるブログというものを、我もしてみんとて
するなり」というような気分で始めました。
もう少しで一ヶ月になるあの東北から関東を襲った大地震と津波は、私たちの心や精
神にも、大きな亀裂をいれたようです。あれ以来、涙とともに思いや言葉があふれて
きます。
ギャラリーでは、4月の予定していた毎年恒例の「エスカレ 重田周作ジュエリー
展」を延期しました。これからの活動を4月の一ヶ月をかけて、見直していきたいと
思っています。

今日は午後3時から「長野市民会館検討委員会」です。委員長代理として、この2年
ほど、新しい市民会館建設を前向きに捉え、検討してきました。長野市の芸術文化の
拠点作りと、音楽、演劇それぞれの小ホール、いくつかののリハーサル室など、単な
るホール機能だけではない、文化拠点をイメージしてきました。これまでも、建設場
所の何回かの変更、最後の決定が、市役所との合築という、個人的には納得できない
ものもありましたが、設備の整った空間で、ああいう演劇を若い人に見せたい、こん
なワークショップも・・・とソフトを伴った運営への希望を持っていました。
しかし、この震災で自分の中で、そういうものがリアリティを失いました。この大き
な犠牲と被害の中で、芸術文化に関わるものがするべきことはなんだろうか?まだ結
論は出ませんが、考え続けて行きたいと思います。
現在、税金を使ってするべきことの順序は、新・市民会館建設でないことは確かで
す。長野市のホール環境を考えると、ここは耐震でしのぎながら、文化のソフト、人
材を充実させるべきだと思っています。今日は最後の委員会に出てきます。
石川 利江