2011年6月17日金曜日
街歩きのすすめ
小さなお稲荷さんに手を合わせたり、掃除をしている方と黙礼したり、そういう時間がありがたく感じられる。東北の惨状を目にして感じたのは、私たちは暮らす場所、土地から生きる活力や安らぎや、お金には替えられない多くのものをもらっているということである。
その土地を捨てなければならない、飯舘村をはじめ多くの人たちに、誰がどう保証できるというのだろう。今朝の散歩で発見した、町の八百屋さん。朝早くから活気があった。曲がったきゅうりが一山、二百円。大型店が出来て、消えていった、町の魚屋、豆腐や…地味な商売が手堅く並んでいた町をもう一度、取り戻したいと思うのは、無理だろうか。
2011年6月14日火曜日
デッサンのクラス始まる
お二人も講師というより、一緒に描いてアドバイス程度ならという、ユニークなクラスです。
画家の描く素描のタッチや線の美しさにも触れられます。初めての方でも気楽にご参加ください。
2011年5月28日土曜日
大正の美意識と遊び
工夫しながら、楽しんで針を進めた女たちの姿が浮かびます。縫うという技術も生活から遠くなりました。便利な大量生産の時代は、多くの暮らし技術を失わせたのだとあらためて思います。半襟を附けるのが、やっとという自分が恥ずかしく感じます。
また、渡辺さんのキモノの見事な着こなしを見ていただきと思います。
今日は大正時代の柳模様のキモノに刺繍の帯。お太鼓いっぱいに狆が刺繍されています。そのデザイン性の高さ、技術の巧みさに目を見張りました。
ぜひご覧いただきたいと思います。
2011年5月11日水曜日
佐久・内山で山菜を
はなももの花がピンク、赤、白などの鮮やかな色を見せています。渓流の流れの音を聞きながら、ご一緒に歩いてみませんか。
過疎化が進む内山ですが、『昔暮らしの里』として、渓流釣りや炭焼き、山菜採りなどの体験メニューや体験宿泊施設『田舎家』も準備しています。昨年来わたしもいろいろアドバイスに参加しています。
今日は15日の打ち合わせや試食のために、雨の内山を訪れました。
雉そばも結構でしたが、初めて食べた『こうれん葉』と地元で呼ばれる山菜は(写真)ヌルッとした食感と上品な苦味が絶品でした。15日の山菜料理が楽しみです。
2011年4月23日土曜日
『木工家のつくる木のスツール展』始まりました
震災以来、展覧会を中止していましたので、久しぶりの展示です。
小さな椅子というアイテムですが、それぞれに家具づくりの作家の美意識や考え方、遊びが見えて楽しい展示です。木という、人の命より長く生きた生命体に囲まれていると、何かほっとするような、心が満たされるものがあります。
今日はこれからギャラリートークがあり、明日午後にはスツールを作るワークショップもあります。どうぞご参加ください。
2011年4月13日水曜日
町の記憶
しかし、福島では人間の手で再生することのできない破壊が進行している。
昨日、鵠沼でギャラリーをやっている知り合いから電話があった。陶芸の里・益子も大変な被害で、窯が壊れたり、アトリエが壊れたりしたという。陶芸家からのSOSを伝えてくれた。報道されない多くの痛手を受けた人がたくさんいる。相談して、5月に鵠沼で、6月過ぎに長野、金沢で支援の展覧会をしたいと思う。
これから東北の染織や、木工、陶芸の作り手の様子も調べてみたいと思っている。
2011年4月11日月曜日
一ヶ月の時間が過ぎて
復しない中を、3月末に引っ越していきました。
彼女から4月5日に初メールが届きました。
「長野では、ネット接続をwimaxでやっていたのですが、こちらへ来たら、家も職場
も「圏外」で愕然。
携帯に転送をかけているのでメールは読めてはいるのですが、なかなか思うように返
信できない日々でした。
きょうはやっと車が納車されたので、wimaxの電波を求めてマクドナルドへやってき
ました。」
4月7日の大きな余震があった後のメールでは、
「…なんだか盛岡の人たちには元気をもらい続けています。
停電で信号が止まってるのに、ごみ収集も郵便配達も平常通りで脱帽でした。
きょうは大きなイオンショッピングモールに買い出しに出て、車いっぱい日用品を買
いそろえたのですが、モールは活況を呈していて、被災地支援の取り組みがあちこち
にあり、なにくそ負けるもんか!という勢いさえ感じました。」
というような盛岡の様子を伝えてくれました。現地の皆さんは本当に寒い春をひたむ
きに過ごし、日々闘っているのだと思います。
彼女は「物のないのは我慢できるが、情報がないのが怖い」と書き込んでいます。
昨日は各地で知事選や県議選がありました。その結果は・・。強いもの、力がありそ
うなものに頼りたくなる気持ちはこんな時だからこそ、増幅されます。
寺島実郎氏(日本総研理事長)が対談で「笑顔のファシズムに気をつけよう。関東大
震災は大正デモクラシィに止めを刺した。方向感を見失った心理がしっかり束ねてく
れる力の願望になる。」と指摘しています。現在の災害ユートピアといわれるよう
な、みんなが何とかしたい、何が出来るかという気持ちの次にくる段階を今から考え
てきたいと思います。
大正12年に起きた関東大震災は10万人を越える人々の命を奪い、現在華やかなブ
ランド店が並ぶ原宿の表参道は、死者で埋まっていたといいます。
その頃、町では「おれは河原の枯れすすき、同じお前も枯れすすき」といった退廃的な歌が
はやり、復興して立ち上がった東京では、昭和8年ごろから「東京音頭」が大流行し
ます。人々は盆踊りに繰り出し「花の東京の真ん中で・・」と踊り狂います。その熱
狂は日中戦争へと繋がって行ったような気がします。
長く生きてきて、若い時には見えなかった時代の流れが少し見えます。大きな地殻変
動が起きたこの国では、政治も言論も文化芸術も今までのものがすべてとは言いませ
んが、嘘っぽく、リアリティを失っています。
これから変革していく時代の中で、再設計されなければならない社会の方向と守られ
るべき小さな人間の営みの継承を見届けたいと思います。
私の周りでも、30〜40歳代の女性たちが中心に「エネルギー問題研究会」を作っ
て勉強会を始めました。4月6日に一回目の勉強会を開き、これからも月2,3回の
ペースで続けていくそうです。14日(木)長野市西の門町のナノグラフィカで、原
発事故について考えるお母さんの会が開かれます。興味のある人は参加してくださ
い。
今日は震災から一ヶ月経って、まだ出口の見えない中で考えていることを、書いてお
きたいと思いました。 石川利江
2011年4月6日水曜日
善光寺お朝事盛況
自分の無力を感じ、謙虚に祈るしかないことがあるのだ、ということを今回の災害が教えてくれているような気がします。
2011年4月5日火曜日
遅ればせのブログ開始
するなり」というような気分で始めました。
もう少しで一ヶ月になるあの東北から関東を襲った大地震と津波は、私たちの心や精
神にも、大きな亀裂をいれたようです。あれ以来、涙とともに思いや言葉があふれて
きます。
ギャラリーでは、4月の予定していた毎年恒例の「エスカレ 重田周作ジュエリー
展」を延期しました。これからの活動を4月の一ヶ月をかけて、見直していきたいと
思っています。
今日は午後3時から「長野市民会館検討委員会」です。委員長代理として、この2年
ほど、新しい市民会館建設を前向きに捉え、検討してきました。長野市の芸術文化の
拠点作りと、音楽、演劇それぞれの小ホール、いくつかののリハーサル室など、単な
るホール機能だけではない、文化拠点をイメージしてきました。これまでも、建設場
所の何回かの変更、最後の決定が、市役所との合築という、個人的には納得できない
ものもありましたが、設備の整った空間で、ああいう演劇を若い人に見せたい、こん
なワークショップも・・・とソフトを伴った運営への希望を持っていました。
しかし、この震災で自分の中で、そういうものがリアリティを失いました。この大き
な犠牲と被害の中で、芸術文化に関わるものがするべきことはなんだろうか?まだ結
論は出ませんが、考え続けて行きたいと思います。
現在、税金を使ってするべきことの順序は、新・市民会館建設でないことは確かで
す。長野市のホール環境を考えると、ここは耐震でしのぎながら、文化のソフト、人
材を充実させるべきだと思っています。今日は最後の委員会に出てきます。
石川 利江